HIYORI
国道21号線

臆病な自尊心
尊大な羞恥心
帰り道、国道21号を走っていると
たまに張り詰めた糸が切れそうになる
もういっそこのまま走り続けて
虎になったりしないだろうか
Gotch

高校生のカラオケ以来だろうか。
ループ&ループのGotchを見て元気が出た。
尖った眼鏡、青いTシャツ。
つまらないイメージを壊せ。
一生かけて

サカナクションの山口さんに何度も救われている。
今の私があるのも山口さんのお陰だ。
中日ドラゴンズがBクラスに定着して早幾年。
満塁なのに点が入らない。
勝ちを確信した点差からの逆転負け。
じわじわと膨らんでいく借金。
毎年毎年、今年こそはと応援するものの、ちっともAクラス入りするような雰囲気がない。順位だけならまだしも試合内容も散々。期待する気持ちが何度も打ち砕かれて辛かった。
こんなに頻繁に辛い思いをするぐらいなら、いっそファンを辞めてしまった方が日々楽しく過ごせるかもしれない。そう真剣に考えていた。
そんな時に山口さんがドラゴンズについて語っている新聞記事を見かけた。
低迷するドラゴンズの事を質問された山口さんの答えが、胸に響く。
「低迷期があった方がストーリーがあり、バンドも野球チームも面白い。出場チャンスを得た選手を見られるし、何の心配もしていない。一生かけて応援するわけだから」
「一生かけて応援するわけだから」
その言葉はまるでドラクロワが描いたマリアンヌの如く私の心を照らし導いてくれた。きっと私だけでなく多くのドラゴンズファンもまたあの絵の様に導かれた事だろう。
そう、山口さんのお陰で私は今でもドラゴンズを応援する事が出来ている。
悔しい時、辛い時にあの言葉を思い出すと、自然と気持ちが前を向く。
1試合、1シーズンで区切る必要なんてない。
選手の成長を見守り、試合結果に一喜一憂し、辛い時にこそチームを支える声になり、いつか訪れるだろうその日を待っている。
3年後なのか5年後なのか、はたまた10年後なのか。
名古屋ドームに紙吹雪が舞う時、今までのエラーも借金も、悔しさも悲しみも消えてなくなるに違いない。
2019年、シーズン終盤までクライマックスへの夢を抱き、若い選手たちの躍動をひしひしと感じる事ができた。
来シーズンへの期待は膨らむばかり。
ひょっとしたら来年は。
ひょっとしなくても来年は。

ドアラクション 山口一郎
オールドスタイル

ここ数年、中日ドラゴンズでじわじわとオールドスタイルの選手が増えてきている。
守備の時に動きやすいのか、単に選手の間で流行っているのか。
最近はピッチャーの間でも増えているので、もしかしたらチームとして推奨しているのかもしれない。
理由はどうあれ、オールドスタイル好きとしてはうれしい限り。
犯人に告ぐ

「河合さん、この小説やべーから読んだ方がいいよ。」
高校1年生の時に「犯人に告ぐ」という小説をクラスメイトのK君から勧められた。
K君は運動神経が抜群とか、目立って容姿が良いだとか、とても頭が良いという訳ではなかったけれど、とにかく現代文の授業での読解力がずば抜けていた。というのも出席番号が近かった私はグループワークでK君と同じ班になる事が多く、意見交換の時にいつも驚かされていたからだ。
こんな所に気付くなんて。なるほどそんな解釈もできるのか、と、K君のセンサーは私には感じられないものをしっかり正確に捉えていた。他のメンバーがどう思っていたのかは知らないけれど、私の中でK君はとにかく「すごい人」だった。
そんなK君が勧めてくる小説が面白くない訳がない。
いつだったかK君から「小説家になりたんだよね」と聞いた時、なれるかどうかなんて疑いもせず早く読みたいと思った。ペンネームはもう決めているのか。どんな小説を書くつもりなのか。色々聞いたけれどK君は何も教えてくれなかった。
K君の読解力が優れているのは文章に対してだけではない。
文化祭が終わりクリスマスを前に浮ついた空気が漂う頃、クラスの中だけでなく学年の中でも美人だと評判のA子さんとK君が付き合っている事が発覚し、教室内が騒ついた。
K君に事の成り行きを尋ねると「俺、いけるかどうか(付き合えるかどうか)分かっちゃうんだよね」と豪語した。K君のセンサーは文章だけでなく、会話や仕草、表情も精確に捉えていたのだ。私は普段何を考えているのか見透かされているような気がして何だか少し怖くなった。
実際、K君から言われた私自身の性格に関する指摘は心臓を射抜かれたかと思うほど的確で鋭利なもので、ふとした時に思い出すと心が疼く。
2年生に進級してからK君とは違うクラスになり、会話をする事はなくなった。卒業間近、最後に交わした会話はお互いの進学先について。
K君は「授業料がタダになるから」という理由でうたた寝をしていても合格出来たであろう地元の私立大学に行くと言った。最初は驚いたものの、小説家になるのに大学がどこかなんて関係無いと妙に納得した。
卒業してから連絡をとったことは一度もない。今まで3回ほど催された高校の同窓会の度にK君を探したけれど、彼は姿を表さなかった。
執着していると言われればその通りだけれど、K君に対して恋心を抱いていた訳でもなく、久しぶりに会ってお互いの近況を報告したい訳でもなく、ただただK君の書いた小説を読みたかった。本名を名乗っているとは到底思えない彼の、間違いなく面白いその小説を読みたかった。
3年前、K君に会ったという友人から思いがけず彼の近況を聞いた。「全く働かずにずっと家にいるらしいよ。」と聞いて鳥肌がたった。
その場で私の考えを話して事実の確認をとってもらう事は出来たかもしれないが、その詮索を嫌がるK君の顔が鮮明に浮かんできて何も言えなかった。
地元の中学の集まりに半ば強制的に参加されられたK君は「お小遣いもらって本を買う時だけ外に出る」と語り、「その歳で働いていないのはやばい」と周りから責め立てられたらしい。
その話を聞いて以来、いつか偶然K君が書いた小説を読む事になるかもしれないと、社会人になってから遠ざかっていた活字に再び触れるようになった。本を開いて読み始めた瞬間に「K君だ!」と気付くかもしれないし、全く気付く事なく読み終えるかもしれない。偶然なんて事は起こらず、もう読む事は叶わないかもしれない。
最後に。
K君の本当のすごさは「いや、もしかして本当に働いてないかも」と含みを持たせてくれるところだ。そもそも小説なんて書いていないかもしれない。
結局何年経っても私はK君がどんな人なのか、何を考えているの分からないまま。
書店に並んだ「犯人に告ぐ3」を見つけて思い出した、同級生のK君の話。
実演を終えて
岐阜市歴史博物館での実演を見に来てくださった皆様、
そして博物館の職員の皆様、本当にありがとうございました。
朝から夕方までずっと見てくれていた女の子、
インスタグラム見てます!と声をかけてくださった方、
和傘を夏休みの自由研究にしてくれていた小学生の子、
ふらっと博物館に立ち寄り和傘に興味を持ってくださった方…
たくさんの方にお会いする事が出来ました。
さらには日頃お世話なっている和傘の部品を作る職人さんたちや道具屋さんも見に来てくださいました。
事前に見に行くからねと言ってくださっていた職人さんはもちろん、
思いがけずお会いできた職人さんもいらっしゃって、実演中なのに話し込んでしまいました。
和傘に使う道具と材料でお世話になっている方が
「河合さんに会いに来たんだよ」と声をかけてくださり、
まさかそんな風に気にかけてくださっているとは思いもよらず本当にうれしかったです。
今年の夏は本当に暑くて、しんどいこと煩わしいことがあったりして、
気持ちの糸が切れそうになった時もありましたが…
大丈夫、まだまだできる。
心からそう思えた2日間でした。
もうすぐ秋が始まりそうな気配。
今まで以上に制作に励んで行きます。
展示の中には祖父と祖母が生きていた頃の和傘や資料がいくつか並んでいて、
同じ展示に私の和傘も一緒に並んでいるんだと思うと、胸が少し締め付けられる。
小さい頃はまだ何も知らなくて当たり前だった日常が、
大人になって理解が追いついた頃にはもう思い出になっていて、なんだか急に悲しくなる。
いつもあの場所に座って和傘を作っていた祖母はもういない。
いなくなって20年近く経つ今でも、こんなに鮮明に思い出せるのに。
もしもまだ生きていたら、祖母はこの事を喜んでくれるだろうか。
一度も会う事のなかった祖父は、私の和傘を見て何と言うだろうか。
おじいちゃん、おばあちゃん、今わたし和傘を作ってるよ。
月奴の作り方
月奴の蛇の目傘には幾つか作り方があるのですが、仐日和ではまず最初に月の部分を貼っていきます。
写真の和傘でいうと紺色の部分です。
紺色の和紙を貼り終えたらその上から円になる部分の和紙を貼り、カミソリで余分な部分をカット。
文章で説明するのが何だか難しいですが…
円になる部分の柄はあらかじめ円の形にしておらず、和傘1本分を準備しています。
なのでカットし終わると月の部分が残ります。
その残った月の部分の和紙を使い、次の月奴を作っています。
花柄の円の部分の裁ち端が、次の月の部分に。
そうして月奴は2本が対となって兄弟、姉妹のような感じでどんどん作られていきます。
円と月がそのまま入れ替わっている場合もあれば、写真のように少し配色が変わっている場合もあります。
もしも月奴の和傘を使う機会があったら、「どこかに片割れがいるのかな?」と想像してみてください。
※あくまで仐日和での作り方の場合です
小蛇の目の納品
個別に注文をいただいていた和傘の納品が無事に終わりました。
2件納品があったのですが、偶然にも2件とも小蛇の目の和傘でした。
花緑青の縞模様の和傘は普段使いしつつ、七五三の時はお子様にも持たせたい、と。
そしてカラフルな山々柄の傘は撮影の小道具としてフォトスタジオの方からご注文いただきました。
2件とも実物を見てご注文いただいた訳ではないので、完成した和傘を見て本当に気に入っていただけるか不安な気持もありましたが、おふたりからそれぞれ「ありがとうございました」という旨のご連絡をいただくことが出来ました。
その感謝の気持ちが綴られたメールを見た時の気持ちをこれからも忘れずに、1本1本しっかりと制作していこうと思います。
お子様用に、撮影用に、ちょっとしたおでかけ用に…
ようやく部品も調達出来ましたので、小蛇の目もどんどん制作していきます。
お楽しみに。
蛇の目
初めて制作した蛇の目の仕上げについて相談したくて、
いつもお世話になっている職人さんのところへ。
年末の挨拶も兼ねて。
蛇の目模様をくるっと回しながら、
「上等や」と言って頷いてくれました。
明日急に何かが出来るようになったりはしないけれど、
少しずつ出来ることを増やして、
少しずつ作業の精度を上げていけたら。
少しでも近づいていけるはず。
今日は冬至だからと言ってお裾分けしてくれたゆずは、とてもいい香りでした。
取材を受けました
9月頃、放送部に所属する高校生達から取材の依頼がありました。
そういった依頼が自分に舞い込んでくるとは思わずちょっと悩みましたが、
「部活」という響きが懐かしくて、取材を受ける事にしました。
「私でも何かお役に立てるのであれば」とか、
「和傘の事をより多くの人に知ってもらいたい」ではなくて、
高校生達に混じってわいわい出来たら楽しいだろうな。
アラサーだけどちょっとした部活気分に浸れたらいいな、という下心です。
「最初から最後まで撮りたいんです。」と言っていた高校生達は、
4回も足を運んでくれて、本当に長い間カメラを回していました。
5分ほどの映像作品に編集し、岐阜県の放送部の大会で上映され、
上位2チームは長野で開催される全国大会に進めるそうで、
更にその放送部は40数回連続で全国大会に出場中という記録があるそうで、
「プレッシャー半端ない。」って言ってました。
大会は11月4日、先週の土曜日。
これで全国大会に行けなかったら何だか申し訳ないな、
最後バタバタしてたみたいだけど大丈夫だったかな、と思っていたら…
結果は3位。
連続出場中の記録も途絶え、長野行きもならず。
何とも言えない感じで、高校生達にもおつかれさまとしか言えませんでしたが、
結果が必ずしも伴わないのも部活動らしくていいな、と思う事にしました。
今度編集した映像をDVDにして持ってきてくれるみたいなので楽しみです。
編集で使わなかった作業工程の映像もDVDに焼いてもらう予定なので、
HPかどこかで少しずつ紹介していけたらいいなと思っています。
部屋の掃除や撮影準備が思っていたより大変だったけれど、
とにかくわいわい出来て楽しかったな。
取材に来てくれてありがとう。
ローラー作りと漆がけ
和傘の外側、骨の表面は「カシュー漆」という油性塗料で塗られ、独特な質感と艶があります。
岐阜ではそのカシュー漆を膠で作ったローラーを使い、傘を回転させながら塗っていくのが一般的です。
漆がけは和傘作りの数ある工程の中でも割と好きな作業なのに、漆がけに必要なローラー作りはかなり苦手な作業です。
ローラーはこんにゃくのようなぷにぷにとした弾力が理想ですが、膠は気温によって固さが大きく変化しやすい上に、ベテランの職人さん達は長年膠を継ぎ足して使い続けているので何をどのくらい配合すれば理想の固さになるのか手探りで掴むしかありません。
何度も何度も失敗しながらだんだんマシなローラーを作れるようになってきました。
それでも理想にはまだまだほど遠いですが。
良質な膠は現在とても入手困難な状況です。
だからといって現状を嘆いても状況が改善する訳ではないので、そういった材料、そういった状況の中でどうやったらベストな物が作れるか。いろいろ試していこうと思います。
なかなかいい感じに出来たローラーで、なかなかいい具合に仕上がった漆。
見た目はもちろん、さわり心地のよさにこだわり、ぷっくりとした漆がけを心がけています。
どこかで和傘を見かけたら一度外側をなでなでしてみてください。
あさぎ色のツメ
和傘の骨の先っぽを「ツメ」といいます。
多くの傘はこの部分が朱色です。
仐日和もずっと赤味を帯びた朱色でした。
先日、博物館で深緑色のツメの和傘を見て、あ、別に朱色じゃなくてもいいのか、と新発見。
あさぎ色。
朱色のようにパッと目を引く事もなく、とても爽やかな仕上がりになりました。
先方もとても気に入ってくれたので、しばらくこの色で仕上げていきます。